五日 今晨不参。河原勧進。申楽。観世。午後、御成り。能は七番。これを観る者、もしくは千人。数を挙ぐべからざるなり。御桟敷の杯盤、狼藉。酒宴歓楽娯楽。古来今に絶ゆ。河原申楽以後、ついに管領細川左京大夫殿に御成り。六十三間の桟敷。公家・武家・騎馬、衣服、観を改む。皆曰く近来の壮観なりと。日晴れて風静か。公方御車に乗らるなり。
八日 当軒御成りの事を報らせ奉るなり。御成り、まず昭堂において御焼香。以後、蔭凉において御斎。斎の後、御手水。すなわち前日河原申楽、一会歌舞、衣裳華麗、神妙の至り。談中にありて刻移ろうなり。赤松次郎法師、前日、御桟敷において召され、御盃を下さる。すなわち今晨参りて折紙・御太刀を献ず。以後、弊寮に来たりて、その祝義を伸ぶ。また前日召さるる事、仰せ出さる。すなわちその恭敬歓喜の懐を申すなり。崇寿院雪庵和尚、当軒において、はじめて御相伴に参らるなり。前日、天気にわかに晴る。御快然の由、仰せ出さるなり。天下太平の時、必ず勧進あり。これ故、上下和睦して相楽しむ。もっとも公方の御威勢、これに過ぐべからず。申楽七番過ぐ。しかる後、御宴いまだ終わらずして、見物の者、座を起ち得ず、もしくは千人、その数、量うべからず。皆、一言のもとに笠を脱ぐ。これまたその威を畏むなり。山名金吾、田楽永阿弥に命じ、諸人笠を脱がしむ。しかるに還御せざる以前、皆、座を起たず、還御に及びて忽ち皈去す。もっとも威の服する所、感謝に堪えざるなり。
十日 不参。午後、河原桟敷に御成り。まず三宝院の御桟敷に参り、拝覧す。上様の出車ならびに御輿の次に、公方様御成り。御車陌上に塵を揚ぐ、人中、観を改む。皆、希有と曰く。状観、古来今に絶ゆ。能は十番、二番に請けらる。けだし先規なり。御桟敷よりついに治部大輔殿に御成りなり。けだし旧例なり。今暁天陰る。明晨快晴、もっとも時にすべきなり。
(作成:高木徳郎)
投稿者: t-takagi
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『蔭凉軒日録』寛正五年四月五日・八日・十日条 ・読み下し文
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読み下し文
(外題)
「荒野開発の輩、抽賞すべき者なり。てへれば他の妨げ無く、永くこれを領知すべし。 在判」
赤穂郡司解す 国裁を申し請うの事
特に且つは公益に依り、且つは勲功の賞を以て、当郡久富保字庄荒井溝荒田を領知せられんことを請うの状
歩危上壱所 拾捌町余 当作伍町貳段 字抽井
四至 西東限限字字母尾祚朝多路和 北南限限字字大童蔵堂山
歩危下壱所 参拾貳町余 字宇多波田井畝
四至 西東限限長字尾童 堂 北南限限字字大法蔵師多崎和鷹気取 山
副え進らす 留守所の御外題二枚
右、謹んで案内を検ずるに、作田に至りては領掌致し、官物に於いては公益を存ぜんが為、去年廿日より始め今に至るまで、件の井溝を宿所となし、未だ私宅に罷り帰らず、五千余の人功を尽くす者なり。但し件の井、旧跡有りと雖も、罷り立て難き所として、年序を経畢んぬ。そもそも件の井溝の体たるや、田口より井口まで遠く三十町許り、其の内、土樋の渡す程五箇所、木樋の渡す所五段余、山腰の歩尾に道を穿鑿する事二町余り、其の内誠に限り無き巌を破り治める所五段余許りなり。(中略)望み請うらくは国裁を、解状に任せて勲功の賞を垂れ、件の荒井溝・流れ荒田を領知せんと裁定せしめられんことを請う。てえれば、事状を勒し以て解す。
承保二年四月廿八日 大掾秦為辰
(作成:高木徳郎)