●語釈
・会稽:もとは中国の地名。 敗戦の恥辱。中国春秋時代に越王勾践が呉王夫差のために破られて会稽山に囲まれ、捕えられて恥辱を受けた後に夫差を破って、その恥辱をすすいだ故事が転じて、復讐を指す。
カテゴリー: 長秋記
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『長秋記』元永二年十二月十日条 語釈
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『長秋記』元永二年十二月十日条 現代語訳
●現代語訳
十日 参院した。行幸定があった。与奪は新大納言仲実、執筆は治部卿能俊、参仕の上達部は右衛門督顕通、藤大納言宗忠、別當忠教、新中納言実隆、宰相中将信通らであった。事が終わり、それぞれ連れ立って土御門殿に参上した。御仏名の事があった。新宰相中将雅定が参加した。御導師は湛秀、寛厳、勝仁。事が終わって名謁した。所衆・武者所は去年から夜に?御仏名会に参加しているそうだ。事が始まらない内に、武者らが所衆の者達を打擲したので、御仏名会が終わったあと所衆らは復讐しようと待っていたが、武者らを恐れてすぐには参入しなかった。所衆は分散した後数刻経ってから参入した。 -
『長秋記』元永二年十二月十日条 読み下し
●読み下し
十日 参院す。行幸定め有り。与奪新大納言仲実、執筆治部卿能俊、参仕の上達部
右衛門督顕通、藤大納言宗忠、別當忠教、新中納言実隆、宰相中将信通等なり。
事了り相率ゐて土御門に参る。御仏名の事有り。新宰相中将雅定参加す。御導師湛秀、
寛厳、勝仁、事了り名謁す。所衆・武者所去年より御仏名夜□等の事に有りと云々。
事未だ始まらざる前、武者等所衆徒を打たば、事了りて後所衆等会稽の為相待つと雖も、武者所に怖れを成し参入せず。所衆分散の後数刻を経て参入す。