『長秋記』元永二年十二月二十四日条 語釈

・天子日を以て月に易ふる文……:『貞観政要』論悔過にほぼ同様の文章が見られる。論悔過においては、実際には服喪の期間が三年である≒三回忌までの法要が必要であるのに、「日を以て月に」読み替える事で三年を三十六日に短縮し、一ヶ月強で法要を終えてしまう事を、「礼典に乖く」ものだとして太宗が嘆いている。ここにおいても、結果的には三ヶ月(これは親子の服喪期間に相当するが、白河院と輔仁親王は兄弟であり、時の鳥羽天皇とは親戚のため、実際には四十九日が適切であろう)喪に服すはずだが、「日を以て月に」読み替える事で三日になっていると考えられる。
・鰭袖:袍、直衣、直垂などで、袖を広くするために、袖の端にさらに半幅付けた袖。
・荷前使:のさきのつかひ。十二月、諸国からの貢物の初物を九月に皇大神宮、十二月に帝陵と外戚の墓に奉る事。十二月の荷前は、指定された陵墓にこの荷前使が派遣される。いつごろから始められたかは未詳。九月の皇大神宮荷前と本来は一連のものであったと思われるが、平安時代にはもっぱら、十二月のそれが「荷前」の語の通例となっている。

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