・露顕:古代の聟執婚における結婚の披露宴。古くは男が女のもとに通いだして第三夜に行うのが普通であったが、院政期ごろから第一夜に行うのが一般的になった。男が連続して三夜女のもとに通うと、結婚が成立したものとして男女が三日餠を共に食して祝い、男は女の家の聟になったことを公表し、女の両親や家族が男に対面して聟として扱うことを承認し、親族など縁故の人を招いて披露の宴を設ける。
・吉上:六衛府の下役で、宮門・禁中を守る役の者。
・左衛門尉国能:藤原国能。詳細は不明だが@石山寺縁起に天治の比参議真夏卿の後胤に正五位下式部少輔藤原国能といふ人あり。」という記述があるほか、詩序集に記載あり。
・星歌:神楽歌の曲名。宮廷御神楽の「神楽次第」の歌は、(一)庭燎、(二)採物、(三)前張、(四)星・雑歌から成る。このうち、夜明けの神楽が「星(歌)」である。庭火も字が異なるだけでこの歌の一つと考えられる。
・月入:月の入りの頃の時刻。この元永二年十二月八日は、新暦では翌年一月十日であり、その日の「月入」の時刻は午後五時四十分である。
・御仏名:懺悔して仏名を唱え滅罪のためにする仏事である。三千仏名を礼拝するから仏名懺悔ともいう。わが国では毎年十二月中に一定の日を期して仏名を礼拝する行事を仏名会という。中国では古く東晋の時代から行われ、わが国では宝亀五年(七七四)十二月に方広悔過を宮中に行なったのが初めで、淳和天皇の弘仁十四年(八二三)十二月、大僧都長恵・勤操・空海らを請し清涼殿にて大通方広の法を行じ終夜に至った。その後年中行事として営まれたが建久のころに毎年十二月十九日より同二十五日に至る間のただ一日だけと定められた。その後建武年中(一三三四―三八)には一夜のみ行われたのが、永和のころより宮中では行われなくなった。世にこの仏名を唱礼して懺悔滅罪を祈る行事をお仏名会と呼んで平安時代は諸寺に行われ、薬師寺・東寺・四天王寺などでは過現未の三千仏名が歳暮にかけて行われたものである。これは『賢劫仏名経』『観薬王薬上二菩薩経』などの所説に基づいたものである。
・藤原宗輔:平安時代後期の公卿。権大納言藤原宗俊の三男。母は左大臣源俊房の女。没年から逆算すると、承暦元年(一〇七七)の誕生となる。寛治元年従五位下に叙され、近衛少将・同中将を経て蔵人頭に補され、保安三年参議に昇った。以後諸官を歴任して、保元元年右大臣に進み、ついに従一位太政大臣に至ったが、永暦元年上表して官を辞し、応保二年(一一六二)正月二十七日出家、同三十日、八十六歳の天寿を全うした。蜂を飼って愛玩したので、蜂飼大臣とあだ名された(『十訓抄』)。
・人長:にんじょう。神楽執行の宰領役。「ひとのおさ」ともいう。宮廷の御神楽では近衛将監、諸社の神楽では神祇官が勤める。
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