●現代語訳
八日(内侍所御神楽)、権僧正の檀所に向かった。中宮権亮實能がやってきて言う事には、今夜は召人なので、沐浴の為に来たとの事だ。私もまた召人だったので、これを聞いて共に沐浴した。その後伊予守(藤原長実)の宿所に向かって、細弓・鞆絃袋を送った。(伊予守が)聟執の間にこれらを入れましょう、と言った。今夜、甲斐守(藤長輔)が参河守有賢朝臣の家に立ち寄った。今夜露顕であるという。参内して蔵人らに、「大将より示された所である。右近の陣の吉上等が訴えを申し上げている。近日、蔵人が吉上を呼び宿所を守護させている。また昼夜問わず私用に駆使している。まるで乱罸の様に陪膳にも催促させているという。これは誰がやっている事なのか。先例はあるが、今回の事に沿うものではない。沿う先例が無いならば早く停止されなければなない。一旦お伝え申し上げて(使役した事を)認めなければ、その時(院に)奏聞するのが良いだろう」と問い伝えた。蔵人盛行が言う事には、「この事は左衛門尉国能がやった事です。主上は全てお聞きになっています。今となってはこのような事には出仕しないでしょう」、との事だった。暫くして退出した。私は御剣に控えた。宗輔朝臣が御裾を取り、南殿及び軒廊春興宜陽殿代等を経て、内侍所に入御した(長橋を構え筵道を敷いていた、)。最初に屏風の中で御拝を行った。次いで南面御座に着御された。御拝の間南面御座に御剣を置いて退出した。頭中将が勅命を伝えて言う事には、「庭火本歌に奉仕せよ」、との事だった。形式通りに奉仕する事を申し上げた。伊通朝臣が和琴、成通朝臣が末歌、殿上人が着座した(西上北面、)召人が着座した。殿上人は六人伊通朝臣、忠宗朝臣、実能朝臣、成通朝臣、季成、そして私であった。地下元祐、清仲、忠光、定元、時貞、業兼が着座した(西本、東末、)。人長は末方に控えていた(列座である)。近衛府召人は暫く着座しなかった。この座は四列であった(本方・末方それぞれ二列か)。一献(宗輔、経忠)、二献(顕重、貞信)、三献(某)があった。続いて庭火があった。(本歌は私、末歌は成通、琴は伊通、笛は清仲、篳篥は忠光だった)続けて近衛召人が着座した。本(歌)は近方(拍子、)秦兼信と兼行、末歌は時光(拍子、)清原遠兼、秦公方、物を取り終えて勧盃した。才男を呼び、陪従が散楽を行った。元輔・清仲は㝡であった。事が終わって宗輔朝臣が星歌に奉仕するよう仰せになった。なのでそれ(星歌)を詠唱した。今夜人長が命によって本方に着座するはずだったが、風気がひどいために末方に座した。伊通朝臣は神楽の間に兼業を呼んで座上に座し、琴を弾かなかった。琴が終わり退出した。月入の頃に帰宅した。
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