『長秋記』大治二年十一月三日条 現代語訳

●現代語訳
 三日己丑 夜明け頃御所に参った。しばらくして出発した。□を取り(高野)山を登った。[政所から中院御所に到着なさった事。]高野(山)の鳥居の前で松明を消した。本院は御輿に乗っていた。新院は御馬に乗っていた。山が険しく□(寒さ?)冴え、落馬の輩□□新院は御馬に乗っていた(=高野山登山の険しい山道の中、寒さも厳しく、落馬する者も現れた。そのような中で新院は馬に乗っていた。?)。左武衞は、白葦毛の馬に乗っていた。一度も(白葦毛の馬の)毛に泥がつかなかった。(それは左武衞が馬から)下りたり上ったりする間ごとに、人の(左武衞の馬を)汚さないようにとの用心が有ったからである。馬が優れていたからではない。善い行いの始まりは、ことさらに(本院・新院の)御心に叶うことであった。笠木の借屋で、長吏の権僧正が破子(=食器)を供した。本院の御料(=食器)は蒔絵の御手筥□だった。新院の御料(=食器)は使い古された蒔絵の御料(=郁食器)だった。公卿・侍臣の料(=食器)は皆檜(=生地)の食器だった。本院が先ず席にお着きになった。
 (本院は)新院がいらっしゃるまでの間、食事の席で暫く休息なさった。(新院に)いらっしゃってくださるように申し上げた。(それを受けて新院は)先に行きなさった。経忠卿以下が食事の席に着いた。私が食事の手はずを整えた。(本院/新院が)僧・御随身等に酒肴を持ってくるようにお命じになった。立ちながら酒肴を差し出した。(食事を終えて)出発した。道がうねうね曲がりくねっていて、さらに坂道であるところで御輿を下ろした。前駈等も此の所で下馬した。藁履きを履いて(登山しやすいように)杖を取った。新院もまた此の所で藁履きをお履きになった。だいたい殿上・侍臣以下、雅康朝臣の外は皆すべて歩きであった。付き人らは皆等しく歩きだった。「召次は、(この場所に)留めておき、馬に乗っている人や集団がいたら追い払え。」という命令だった。巳の始め(=午前九時頃)に中院御所に到着された。人々は足を洗って(山道の汚れを落とし)御所に参った。今夜雨が降った。名山というのは、人が大きな声で話している時に必ず雨が降るものであるらしい。ややあって天気は快晴となった。□□成悦(うれしい?)、

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