鳥羽院庁下文案 康治元年十二月十三日 読み下し文

「〈神野((別紙))・真国新田十石寄進事 院庁御下文案〉     」
院庁下す 紀伊国在庁官人等
 早く使者相共に、四至(※1 しいし)を堺し牓示(※2 ぼうじ)を打ち、立券※3し言上すべき、神野・真国の山地弐箇処の事
郡に在り、
 壱処神野
  四至東は岫峯くきのみねを限る
 南は志賀良しからの
横峯よこみね

を限る
 

    西は佐々少河ささおがわの西峯にしのみねを限る 北は津河つがわの北峯きたのみねを限る
 壱処真国
  四至東は加天婆かてわ(ば)の永峯ながみねを限る 南は津河北峰を限る
 西は伯父おじのみねを限る 北は高峯たかみねを限る

    使(使者名欠)
右、権中納言兼皇后宮権大夫侍従藤原朝臣家(成通)の去んぬる十一月三日の寄文にはく、「件の所領は、当国の住人なが依友よりともの先祖相伝の私領なり。往年の比、事の由緒有るに依り、高野山に寄進し、仏聖料※4を弁済す。その後偏へに停廃ちょうはいに従い、みだりに収公※5を致す。民烟みんえん逃散し、でん荒廃す。しかるに今、非道の妨げを省かんがため、当家に寄せ与うる所なり。次第の文書と謂ひ、調度のげんと謂ひ、全く相違無し。誰か異論を致さん。ここに件の庄を以て永く院庁に寄進するの後、御領となす。其の地利米※6(石)を以て、毎年高野山に弁進を致す。是則ち一には禅定仙院(鳥羽)の万歳の宝算のおほ※7んため、一には弘法大師の三密※8の教法に資する也。臣一※9の善女有り。其の君に献ず。けだしこの謂ひか。望み請ふらくは庁裁※10を、件の庄、永代を以て限り、不輸租田と為すべし。永く※11国使くにづかひならびびに寺使てらづかひを入るべからず。毎年貢に至りては、敢へて懈怠けたいあるべからず。預所においては、永く領家の附属ふしょくに任せ、補せらるべし。」てへれば、申請の旨に任せて、御領となし、使者あい共に四至を堺し牓示を打ち、立券し言上すべし。御年貢の能米※12(石)に至りては、毎年高野御山に運び進らし、預所においては、彼の家の譲状に任せて、執行しぎょうせしむべきの状、仰せの所くだんの如し。在庁官人等、宜しく承知すべし。違失すべからず。ことさらに下す。
 康治元※13年十二月十三日 主典代散位中原朝臣□□
別当権大納言藤原朝臣(実行ヵ)  権大納言兼右近衛大将藤原朝臣(実能)
(以下、三十五名署名省略)        

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