「〈神野((別紙))・真国新田十石寄進事 院庁御下文案〉 」
院庁下す 紀伊国在庁官人等
早く使者相共に、四至を堺し牓示を打ち、立券し言上すべき、神野・真国の山地弐箇処の事
郡に在り、
壱処神野
四至東は岫峯を限る
南は志賀良横峯
を限る
西は佐々少河西峯を限る 北は津河北峯を限る
壱処真国
四至東は加天婆永峯を限る 南は津河北峰を限る
西は伯父峯を限る 北は高峯を限る
使(使者名欠)
右、権中納言兼皇后宮権大夫侍従藤原朝臣家の去んぬる十一月三日の寄文に偁はく、「件の所領は、当国の住人長依友の先祖相伝の私領なり。往年の比、事の由緒有るに依り、高野山に寄進し、仏聖料を弁済す。その後偏へに停廃に従い、猥りに収公を致す。民烟逃散し、田畝荒廃す。しかるに今、非道の妨げを省かんがため、当家に寄せ与うる所なり。次第の文書と謂ひ、調度の公験と謂ひ、全く相違無し。誰か異論を致さん。爰に件の庄を以て永く院庁に寄進するの後、御領となす。其の地利米拾斛を以て、毎年高野山に弁進を致す。是則ち一には禅定仙院の万歳の宝算のおほんため、一には弘法大師の三密の教法に資する也。臣一の善女有り。其の君に献ず。けだしこの謂ひか。望み請ふらくは庁裁を、件の庄、永代を以て限り、不輸租田と為すべし。永く国使幷びに寺使を入るべからず。毎年貢に至りては、敢へて懈怠あるべからず。預所においては、永く領家の附属に任せ、補せらるべし。」者れば、申請の旨に任せて、御領となし、使者あい共に四至を堺し牓示を打ち、立券し言上すべし。御年貢の能米拾斛に至りては、毎年高野御山に運び進らし、預所においては、彼の家の譲状に任せて、執行せしむべきの状、仰せの所くだんの如し。在庁官人等、宜しく承知すべし。違失すべからず。故に下す。
康治元年十二月十三日 主典代散位中原朝臣□□
別当権大納言藤原朝臣 権大納言兼右近衛大将藤原朝臣
(以下、三十五名署名省略)
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